青年ダイアリー

無知で愚鈍なる青年のとりとめのない想い

計画性に着目した生活改革

気がついたら〆切まであと少しなのに、

「えっこんなにも?」

やる事が山積みになっていた。
そんな経験が誰にでもあると思う。
大体、想定しうる最悪の事態にはならない事が多いけれども。


どうしたら、タスクは効率よく処理出来るのか。それも、処理の質を高めたいものもあれば、質なんぞどうでもいいものまで様々ある。

1ヶ月は約30日しかないのに、「今日こそは私だけの日だ!」と胸を張って言える1日は数えてみればそんなになかったりする。

欲しくないですか。
私だけの1日、与えられた24時間を自由に使いたいじゃないですか。

やはりそのためには、余裕を持つことが大切になるのです。つまりタスクは計画的にこなしていかねばならない。

よく手帳にカレンダーに、この日はこれをやる、この日からこの日にかけて、これをやる.....なんて具合に予定を書き込んでいく人がいる。

それだけで着実にこなしていけるのならば、その人はたいそう真面目な人だと私は思います。大体、上手く行かない人は、この日にやる!と書いたのに、実際にその日になってみれば

「あれ、これ明日でも大丈夫じゃ〜ん」

なんで思ってしまう人だっているのだ。
もうそんな自分とはおさらばしたい。

ではどうしたら良いのかというところだが、今までの日付の割り振りに加えて、"時間割を作る"というのがポイント。

ノマドと聞いて連想するように遊牧民的な気分で気が向いたら手をつける、なんていうのは上手に出来る人と出来ない人がいるのだ。

上手に出来ないとわかっているのならば、厳正なる時間割のルールに従わねばならない。上手に出来ない人は、まずはそういう導入が必要なのだ。オンザジョブトレーニングだ。

例えば参考までに、この時間の割り振りに関連した話であるが、今までやらなかった事を習慣として定着させる手段として、色々な手段が講じられている。

そのうちの一つがこれ。
毎日だったり、決まった曜日だったり、その日の「何時」にやるかとか、「何かの後」にやるとかいう具合に、定着させたいものの時間的な置き場所を決めるのだ。

そしてさらに、「1週間ではなく、2週間続ける」のだ。

初めはキツイのは皆同じなのである。
何かを得るために、それなりの苦労をせねばならないのは世の摂理なり。

考えてみよう。
先にも述べたが、今までやってない事が新たに1日の中に加えられるのだ。
24時間しかない、伸びるわけのない時間のうちに新しいタスクが増えるのだ。
時間的に置き場所が決められなければフワフワとあたりを漂っているままだ。後回しにされて、24時間の外側に放り出されるのは想像に容易いだろう。

長くなってしまったが、

なるだけ具体的な時間的置き場所

これこそが、タスクをこなす事が苦手な人にとって、最も取っつきやすい克服の第一歩だと考えている。

夢を与えるお仕事

毎夜、行き場を持たない心が、その落ち着く所を求めて指先を走らせる。

1日のフィルムを巻くようにスクロールボタンを回し、ポインタの先を走らせて、いい匂いがするドアをそっとクリックする。

どこかで見たことありそうな女が、知らない男と裸で絡み合って、艶やかに身体をくねらせて、細い声で喘ぎ鳴いている。

この女は、誰だろう。

わからない。
私は、今普通を生きている。
彼女とは違う、普通を生きている。
彼女は何を思い、その美しい身体を汗で湿らせ、鳴き声をあげているのだろう。

どうしてそんなところにいるのだろう。
彼女は普通を生きたかっただろうか。
母の温もりを感じ、父の背中に魅せられて2本の脚で立ち、時には胸の締め付けられるような青春を過ごして、立派に社会という苦労の渦を走る中で、知らない街行きの列車に乗り換えて、新しい家庭を築きたかったかもしれない。

初めて与えられたその命を、どうして彼女は、その尊い命をすり減らしてしまうのだろう。誰が彼女にそうさせているのだろう。

彼女は命を投げ出したくなったりはしないだろうか。私はその命を、曇らせないで欲しいと思う。いつか輝いて、花を咲かせて欲しいと思う。

誰か分からないその女は、毎夜、行き場を持たない知らない誰かの孤独な心を癒している。知らない誰かの孤独な心に、一条の光を投げかける。

ブログ開設に伴い

この度、ブログを開設するに至りました。

在り来たりですが様々な経緯があります。それも、たいそうなモノではありません。ただ、雑多な考えを形として残して、見返したいという思いからです。いかにもアナログチックに保管するだけの几帳面さは私にはないのです。

誰それの為でもありません。
自分の為かと聞かれても、そうだとは言えません。何か、文字として残す事、その為に自らの考えを、どんなに拙くてもなんとか形としてまとめ上げる事が、私にとって必要だと考えたのです。

ただ、それだけなのです。
きっとせっかく読んで頂いても、楽しんで頂けるようなそれはここにはないですが、それでも何かのご縁で読んで頂けたら私も嬉しい限りでございます。